2016/01/13

ボウイが死んだ

まさかボウイがこんなに早く逝ってしまうとは思わなかった。

私がボウイを知ったのは、たぶんニューミュージックマガジンの紹介記事だと思う。
日本でのレコードタイトルは「上昇し下降する星屑と火星の蜘蛛の群れ」。

なんと「ジギー・スターダストと火星のスパイダースの隆盛と降下」の直訳だった。
丁度ロンドンへ行く用事があったので、ハロッズかどこかデパートのレコード売り場で「ジギー・スターダスト」を買った。
(その時、一緒に並んでいたロキシー・ミュージックの1stアルバムはカバーにビビって買えなかった。後で日本発売になってから買った)
もちろんCDではなく、薄っぺらい紙に安っぽい印刷のカバーに入ったビニール盤だった。
もちろん、擦り切れるほど聞いた。
そのレコードは、今はどこにあるのかわからない。

ボウイが来るというので、コンサートは新宿厚生年金ホールまで聞きに行った。
目の前10Mぐらいの距離で、最後には赤いTバックになったボウイを見た。
今思えば、ステージにはボウイとミック・ロンソンにドラマとベースの4人だけ。
後ろに大きなスピーカーがあっただけで、他には何もなかったと思う。
コンサートにいろいろな装置を仕掛ける前の時代だったんだな。

パリでのコンサートも2回見た。
1回めはヒーローのコンサート。
5Mぐらいの距離で見た。
ステージの天井いっぱいに蛍光灯が並べられて真っ白なステージだった。
オートバイに乗っているパントマイムをやっていたな。
そして2回目は、あのムーンライトコンサート。
今回は遠かった。どこかの公園だったと思う。
ステージそばに設置された巨大スクリーンを見ていた。
この時には、

映画は全部見ていると思う。
地球に落ちてきた男も、戦メリも、Absolute Beginnersも見た。

videoが普及し、Blue Jeanを買って何回も見た。
レコードはCDの時代になったが、最後に買ったのはScary Monsterだったと思う。
最高傑作だと思ったLet's DanceはMVでvideoに取ってさんざん見た。

その後、Tin Machineに乗っていったBowieとは休止状態。
ミック・ジャガーと歌ったDancing In The Streetはカッコいいと思って見ていたが、以前ほどは夢中にはならなかった。

その後も、やはりBowieが好きな友達からもらったCDでビヨークソックリな曲があって、がっかりした。
作ってみたかったんだろうという気持ちはわかるけれど。
ボウイの良い所は、常にボウイだったのに。
ボウイは誰にも似ていなかった。

ボウイを再発見するのは、PandoraやSpotifyができてからだ。
ビートルズは別格として、よく聞くベストスリーは、クラプトン(クリーム含む)、ロキシー・ミュージック、そしてボウイだった。
ボウイの黄金期ーYoung Americans, Station To Station, Heroesはいつまでも素晴らしい。
聞くたびに、70年代のパリが蘇る。

2013年、Next Day。
最初はYou Tubeで見て悪く無いと思い、全曲聞いてぶったまげた。
年寄りでも新しいロックが作れるんだとわかった。
我々同年代の希望の星だった。
年をとってもクリエーションができることを証明してくれたから。

希望の星が「ブラックスター」となった時、逝ってしまった。
ジギーはステージ上で自殺せず、ガンで死んでしまった。

デビッド・ボウイ 全曲リスト
https://en.wikipedia.org/wiki/Category:David_Bowie_songs

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