2016/06/04

紹興1日バスツアー



友人の誘いで紹興酒で有名な紹興への1日バスツアーに行ってきました。

一行は全部で33人で、上海経営研究会とか言うところが主催で、参加料金は1200元です。
日本人は4~5人で、殆どは中国人。しかもその殆どの人が日本語を喋れる中国人でした。
紹興の魯迅故郷(魯迅記念館)へも行くというので、私はたまたま今「阿Q正伝」を暇つぶしに携帯に入れて読んでいたところだったのでついて行きました。
(本当は紹興酒工場も見学し、紹興酒飲み放題!という触れ込みがあったから)

帰りのバスの中で、友人がぼそっと「ここにいる人達は、たぶん日本人としか商売できない人達だと思う」
と言うんですね。何で?と聞きますと。
「日本人と商売するのに慣れるとと、中国人と商売するのに疲れるから」
つまり中国人と商売すると、ダマされないか?とか気をつけてないと払ってくれるものも払ってもらえないとか、中国人でも神経が疲れるから。その点、日本人は神経使わなくても普通は大丈夫だから、と言うのです。
確かに、そのバスの中にいる中国人たちは声は大きくてうるさいけれど、他の中国人とは違っていました。
煩わしくないのです。傍若無人じゃないと言うか。
たぶん、こう言う中国人は増えてくると思います。

いや、増えて欲しいですネ。

上の動画は魯迅紀念館の展示物の1つ、当時(阿Q正伝が書かれた頃)の町並みの模型にホログラフィーを組み合わせて、亡霊のような人々が街を行きかい、幻想的なシーンを見せている


2016/02/20

その後

前回の記事でボウイが死んだと書いたが、その後2週間もしないうちに父が死んだ。
享年90歳だった。
去年の春に胃癌で胃を切除する手術をしてから、また年齢からいっても、いつ死んでもおかしくないので覚悟していたせいか、ついに逝ったかという程度だった。
その胃を切除する手術の後、見舞いに行った時、父が「(身体が)元通りになるには2〜3年かかると医者に言われた」と言うので、私は内心「まだ生きる気か。年齢を顧みず」と、驚いた。
人間、最後まで自分が死ぬとは思っていないんだなと、感心した。
私がいい年をして、あちこちで仕事をしようとしているのは、こういう生命力を遺伝しているんだなあと自分で納得した。



2016/01/13

ボウイが死んだ

まさかボウイがこんなに早く逝ってしまうとは思わなかった。

私がボウイを知ったのは、たぶんニューミュージックマガジンの紹介記事だと思う。
日本でのレコードタイトルは「上昇し下降する星屑と火星の蜘蛛の群れ」。

なんと「ジギー・スターダストと火星のスパイダースの隆盛と降下」の直訳だった。
丁度ロンドンへ行く用事があったので、ハロッズかどこかデパートのレコード売り場で「ジギー・スターダスト」を買った。
(その時、一緒に並んでいたロキシー・ミュージックの1stアルバムはカバーにビビって買えなかった。後で日本発売になってから買った)
もちろんCDではなく、薄っぺらい紙に安っぽい印刷のカバーに入ったビニール盤だった。
もちろん、擦り切れるほど聞いた。
そのレコードは、今はどこにあるのかわからない。

ボウイが来るというので、コンサートは新宿厚生年金ホールまで聞きに行った。
目の前10Mぐらいの距離で、最後には赤いTバックになったボウイを見た。
今思えば、ステージにはボウイとミック・ロンソンにドラマとベースの4人だけ。
後ろに大きなスピーカーがあっただけで、他には何もなかったと思う。
コンサートにいろいろな装置を仕掛ける前の時代だったんだな。

パリでのコンサートも2回見た。
1回めはヒーローのコンサート。
5Mぐらいの距離で見た。
ステージの天井いっぱいに蛍光灯が並べられて真っ白なステージだった。
オートバイに乗っているパントマイムをやっていたな。
そして2回目は、あのムーンライトコンサート。
今回は遠かった。どこかの公園だったと思う。
ステージそばに設置された巨大スクリーンを見ていた。
この時には、

映画は全部見ていると思う。
地球に落ちてきた男も、戦メリも、Absolute Beginnersも見た。

videoが普及し、Blue Jeanを買って何回も見た。
レコードはCDの時代になったが、最後に買ったのはScary Monsterだったと思う。
最高傑作だと思ったLet's DanceはMVでvideoに取ってさんざん見た。

その後、Tin Machineに乗っていったBowieとは休止状態。
ミック・ジャガーと歌ったDancing In The Streetはカッコいいと思って見ていたが、以前ほどは夢中にはならなかった。

その後も、やはりBowieが好きな友達からもらったCDでビヨークソックリな曲があって、がっかりした。
作ってみたかったんだろうという気持ちはわかるけれど。
ボウイの良い所は、常にボウイだったのに。
ボウイは誰にも似ていなかった。

ボウイを再発見するのは、PandoraやSpotifyができてからだ。
ビートルズは別格として、よく聞くベストスリーは、クラプトン(クリーム含む)、ロキシー・ミュージック、そしてボウイだった。
ボウイの黄金期ーYoung Americans, Station To Station, Heroesはいつまでも素晴らしい。
聞くたびに、70年代のパリが蘇る。

2013年、Next Day。
最初はYou Tubeで見て悪く無いと思い、全曲聞いてぶったまげた。
年寄りでも新しいロックが作れるんだとわかった。
我々同年代の希望の星だった。
年をとってもクリエーションができることを証明してくれたから。

希望の星が「ブラックスター」となった時、逝ってしまった。
ジギーはステージ上で自殺せず、ガンで死んでしまった。

デビッド・ボウイ 全曲リスト
https://en.wikipedia.org/wiki/Category:David_Bowie_songs

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